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時事ネタ
2022.02.17

日本に足りないエリートを尊ぶ文化

時事ネタ / 大村 康雄

新型コロナが世界的にいまだにまん延しています。

そのような中、諸外国では様々な規制を緩和する方向で動いているのに対し、日本の緩和のスピードはかなり遅いです。
今日はその点について感じたことを書こうと思います。

新型コロナが発生して以来、日本政府や各自治体のリーダーの対応は世論最優先で動いているように感じます。
政治家ですから世論を読むことは重要でしょう。
ですが、すべての国民が新型コロナにまつわる最新の情報、データを持っているかというとそうではないでしょう。
また、世の中には望ましくないけど重要なことがあります。典型例でいうと、学生時代の勉強です。
世論調査をすれば、多くの学生は遊びたいと答えるでしょうが、多くの大人が学生時代にもっとしっかり勉強すればよかったと思っているでしょう。

このようなことが、世論調査では捉えることができない、本当はやるべきことです。

新型コロナの規制を緩和している国では、世論に固執するのではなく、リーダーが文字通り国民をしっかりリードしているように見えます。
「オミクロン株の致死率はかなり低いので恐れる必要はない。よって、規制は緩和する。」
というようなアナウンスです。これに対して、「えー怖いよー。」という国民もいるでしょう。
ですが、リーダーとして、データを基に決断をしたり、AでもBでもどちらもありうるという状況で「Aにしよう」と方針を示したりしているわけです。

翻って日本ですが、そのようなリーダーの姿勢を、私は感じていません。
世論でとある気運が高まってきたら、それに追随する形で決断する。
リーダーではなく、世論に追随するフォロワーのような印象です。

なぜこのような違いがあるのかと考えました。
その時に気づいたのが、諸外国に比べてエリートを尊ぶ文化が日本には乏しいのでは?ということです。
「あの人はエリートだからあの人の決断には従ってみよう。」
そのような風潮は、日本にあまりないのではないでしょうか?

ノブレス・オブリージュという言葉があります。
フランスで生まれた言葉ですが、財産、権力、社会的地位の保持には義務が伴うことを指します。
つまり、社会的に偉い人はそれ相応のことをしなければならないという概念です。
それ相応のこととは、寄付、ボランティア、従軍、慈善事業などです。
実際、海外の著名人は、寄付やボランティア活動に積極的です。イギリス王室の王子たちも軍隊に所属していました。

ここで面白いのが、このノブレス・オブリージュにバチっとはまる日本語訳がないのです。

これはつまり、日本には社会的に偉い人がそれ相応のことをしなければならないという概念が、希薄ということではないでしょうか?
そして、希薄だからこそ、社会的に偉い人が一目置かれる存在にならず、社会をリードできないのではないでしょうか?

なぜこうなってしまっているのかは、よくわかりません。
江戸時代に諸藩の大名が国民をあまりに虐げたために、偉い人=信用できないという構図が浸透しすぎた?
明治維新が下級武士を中心として行われたため、国民が一般庶民の能力を過度に信じてる?
戦後体制はGHQ主導で作られたため、本当のエリート階級が出来上がるまでまだまだ月日が浅すぎる?

仮説レベルはたくさん思いつきますが、正解は不明です。

ですが、偉い人が一目置かれない日本においても、間違いなく以下のことは言えます。
・一般国民よりも様々な情報、データを入手している人がいる
・「AもBもあり」という状況では、誰かがどちらかを決断しなければならない

つまり、誰かがきちんとリードする必要性は、”必ず”あるのです。

確かに、日本はエリートの言うことに従ってみようという文化は薄いかもしれません。
ですが、そのせいでどんどんとなされるべき施策が後手に回り、国家が衰退していくことはあってはなりません。

色々と困難が続く情勢だからこそ、各自治体、そして、日本のリーダーたちにはきちんとリーダーとしての役割を果たしてもらいたいと思っています。

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